普通に進学校からFラン大にいって東京で遊んでたプログラマーが思ったこと。
逃げ場はなくなってきている。
太宰治のRSだとか、一時代前の学生運動だとか。青年の周りには、常に「悪」と呼ばれながらも、ある種の肯定性を持つ団体や、活動が存在していた。
そして団体、活動に参加していた彼らのほとんどは、最初はその本活動に対して、「まったく興味がなかった」という意見を持っている。「むしろその『悪』の中で生きることが、どこか自分にとって楽で、合っていた」という意見もある。
しかし時代は移り、現在は2018年。
さまざまな考え方や活動が存在することが、ある程度は許される時代になった。国によっては薬もありで、国際化、グローバル化が進み、他国の文化も認めていきましょうという考えが広まってきている。
「ここからは絶対正義で、ここからは悪だから社会的にダメですよ」という悪が、ほとんどの人が悪だと言って、後ろ指を指すような。なにかそういう考えや活動が少なくなってきた。
むしろ、そういう後ろ指を指して批判してくる人、批判してくる考え自体が減ってきているのかもしれない。
そうしたら、青年たちはどこに逃げればいいんだろう。一般社会で「良い」とされている考えや文化に馴染むことができず、なにか悪じみた考えに逃げたいと考えている青年は、どこに逃げ出せば良いんだろう。
もう逃げ場所として残っているのは、本当にやれば捕まってしまうような。人生が狂ってしまうような、そういう場所しか残っていないんじゃないだろうか。
もしかしたら、そういう場所しか残っていないのが当たり前だと考える人がほとんどなんだろうか。だとしたら窮屈だ。
いろいろな考えが存在していい時代になったのに、青年の僕らは窮屈だ。